一般社団法人日本シュタイナー幼児教育協会

協会のヴィジョン

■日本シュタイナー幼児教育協会のヴィジョン

シュタイナー教育の課題を一言でいえば、一人ひとりの子どもが「自己との一致」(自由)へ到る道を支えることであるといえるでしょう。この自己と一致した状態とは、自分は何のために生まれてきたのか、自分は何をしているときが一番幸せなのかが分かっている、ということです。シュタイナー教育が「自由への教育」を掲げるとき、そこには一人ひとりの子どもが「自己と一致」して、喜びをもって生きられるところにまで、子どもの成長と発達を支えていくという願いが込められています。それはシュタイナーが最初のシュタイナー学校設立に際して語った「最近、自分は何をしたいのかわからないという人が増えている」という言葉からもうかがうことができます。

ニート、引きこもり、不登校とひとくくりにされる子どもや若者も、「自己との一致」に到ることが困難な人々であるといえるでしょう。あるいは、「自己と一致していない」ことに特に意識的である人々ともいえます。そういった若者が生活する社会では、貧困や格差の広がりのなかで、生活そのものが困難になりつつある現実があります。そこでは物質的な環境が、人が自分らしく生きること、自己と一致していきることを阻んでいます。

シュタイナーは第一次世界大戦後の混乱のなかで、ヴァルドルフ学校を「社会運動」の一環として始めました。シュタイナーがそのような運動を始めた理由は、人間が自己と一致して生きられる環境を子ども時代から用意していくことによって、一人ひとりの本来の人生の課題がなしうると考えたからであり、それが人類進化にもつながるというヴィジョンがあったからだといえます。本来の人間社会とは、一人ひとりが自分らしく生きるための環境でなければなりません。そこでは「生きた社会」(つまり生体と同じように、生命原理が働いている社会)が、人間が生きるための環境にもっともふさわしいと考えられます。そこから「社会三層化運動」が生じるのです。

さて、そのようなヴァルドルフ学校の目標と背景を考えたとき、幼児教育の目標も本来はそこと変わることはありません。ただ、幼児教育の場合は、人間形成の根っこに関わるとともに、社会運動としては社会の根幹としての「家庭」、もしくは個と個の関係が重要になります。つまり、幼児教育の場としての幼稚園や保育園では、家庭と同様に嘘があってはならないし、正直な人間関係がなければなりません。つまりもっともラディカル(根源的)な形で、ヴァルドルフ教育の理想が問われるのが幼児教育の分野であるといえます。

したがって、幼児教育者は、人間の霊的起源をリアルに感じられなければなりません。それは単に「シュタイナーの教義(ドグマ)」をうのみにするということではなく、幼い子どもの成長を観察することによって、つまり人間のもっとも聖なる能力である歩行、言語、思考の現れを目の当たりにすることによって、おのずと私たちのなかに生ずる感覚でなければなりません。そして、幼児教育講座の最大の課題は、受講生のなかに、一人ひとりの子どものなかに宿る「神性」への感覚を育てることであるといってもよいでしょう。一人ひとりの子どものかけがえのなさ(神性)への確信があるとき、大人は子どもを本能的に守り、子ども時代のために体を張ることができます。反対に、この確信がなければ、いくら知識で「子どもの発達」について学んだとしても、その保育には愛がともなわず、幼児はその時期にもっとも必要とする支えを得られないことになります。

キューゲルゲン博士が、シュタイナー人間学を「愛に満ちた科学」と呼んだように、シュタイナー教育の学びは、学ぶことが「愛の能力」の育成につながっていくはずのものなのです。

日本にシュタイナー教育が紹介されてから約30年がたち、多くの人々の努力によって多くのことが成し遂げられてきました。が、その一方で、学べば学ぶほど人間として愛に満たされてくるはずのシュタイナー教育が、他の立場を排除したり、「あれはシュタイナーではない」と非難したりするようなかたちで、その正反対の「頑なさ」や「冷たさ」を生みだしてしまう場面も残念ながら見受けられるようになりました。私たちは、先達の努力に対して限りない感謝と敬意をもちながらも、この「理念が人を縛る」という危険性に対しては十分に意識的でなければなりません。

かつてシュタイナーが『自由の哲学』で目指したように、シュタイナー教育やアントロポゾフィーという「理念」に対しても、その理念の「奴隷」となるのではなく、「理念を体験しつつ、それに向き合う」という姿勢が重要になります。

それでは日本シュタイナー幼児教育協会においては、どのように「理念に体験しつつ向き合う」ことができるのでしょうか。

これからの私たちの課題は、シュタイナー教育の原点を踏まえつつ、一人ひとりの内面に向かっては「深めていく」努力を、社会に対しては「開いていく」努力を意識的に行うことではないかと思います。そして、その間をつなぐものとして、実践と芸術があります。つまり、手仕事、ライゲン、歌、音楽、お絵かきなど、身体の動きによって為される活動、それが内面の深みと、社会的な広がりをつなぐものであると考えられます。

したがって、本協会の課題を次のように要約することができるでしょう。

  • シュタイナー人間学の理解と研究(内面への深まり)

  • 社会のさまざまな問題への関心と情報の共有(社会への広がり)

  • 方法論や教授法の習得と共有、講座の開催(内と外の間における芸術性)

このように本協会の課題を捉えたとき、それは社会三層化の原理であることに気付きます。それは医学においても基本原理である神経・感覚系と四肢・代謝系、そして両者をつなぐ呼吸・循環(リズム)系の三分節です。

そしてこの三原理は、幼稚園の生活の中でも、一日のリズムを形成する基本になっています。ここにシュタイナー教育、特に幼児教育の「予防医学」としての根拠があるのです。

そして、協会の構造においても、この三原理が重要になります。協会そのものは、ひとつの生体としてイメージすることができます。協会を成り立たせているのは、一つひとつの幼稚園であり、一人ひとりの個人会員です。つまり、協会とは協会員そのものであることがまず重要です。協会の中心、つまり運営委員会もしくは事務局は、リズム系の中心、つまり心臓としての機能をもっています。シュタイナーは、心臓は単なるポンプではなく(もしポンプであれば、中央集権制になってしまいます)、知覚器官であると考えました。つまり、全身をくまなくめぐっている血液によって、さまざまな臓器のなかで起こっていることを心臓は感じ取っているというのです。

そこで、運営委員の仕事は、まず協会のなかで起こっていることを感じ取るということです。全国の幼稚園のなかで、いまどういう問題が起こっているのか、誰がどういうことを感じ、どういう成果を挙げ、どういうことを考えているのか。それは本来は、ニュースレターや通信などの媒体があるのが一番なので、そのように協会員からの声が伝わるための手段は今後の課題として、意識的に考えていかなければなりません。

次に、それを受けて、協会員にとって助けとなるようなこと、参考となるようなことを情報や助言、あるいは講演や講座として提供することが、協会という生体に栄養を届ける働きになるでしょう。

協会員の一人ひとりは、実は外なる社会の一員として生きています。つまり、協会員の活動に関心を向けることは、社会へつながってもいるのです。同時に、協会にとっての内面は、一人ひとりの協会員の心のなかにあることも重要です。そこに協会の栄養の源があります。

内面や精神生活というと、神経感覚系を思われるかも知れません。しかし、実は生体のなかでもっとも精神的・霊的な部分は四肢・代謝系なのです。一人ひとりが学んで内面化したこと、それが血液を通って、協会に栄養を与えるのです。

したがって、もし上記のような協会のあり方が成立すべきであるとすれば、そこでは協会を構成する一人ひとりの会員のなかに、この協会を共につくっているという自覚、自分たちの内面の深まりが、この協会に―ひいては日本におけるシュタイナー幼児教育の発展に―力づけをもたらすのだという認識がなければなりません。

以上、現在の日本シュタイナー幼児教育協会の代表および運営委員会が見ている協会のヴィジョンと課題を素描しました。

2010年2月5日と6日の総会において、このヴィジョンは約80名の参加者によって検討され、採択されました。このヴィジョンとともに、日本シュタイナー幼児教育協会は新しい一歩を踏み出しました。

日本シュタイナー幼児教育協会

代表:入間カイ

運営委員:吉良創、嶋村慶子、有吉光寛、上原幸子、

岡理恵子、後藤寛子、鈴木まゆみ、松浦園、森厚彦